【すれ違う認識】それでも認識があなたを創る。テクニックじゃない、強い想いでRESTART

わたしの自信のなさってなんなんだろう・・・。

言葉で表しにくくて、でもいつも背負っているような寂しさ、孤独感。

持ち前の性格で、なんとか生きてきてるけど、なにかが足りない。

本当は・・・。


目次

身体は心を映す鏡のようなもの

こんにちは!パーソナルトレーナーのしきです。

今日はちょっと文章記事です。

難しいテーマなので、私の頭だけでは語りきれないし

そこまで深く考えられているかどうか、。

それでも悩める私やあなたには、大きなことだと思うので

時間のある時にでも(^^)

身体は、あなたの心を映している鏡・・・

私はそう思います。

もちろん、私も例外ではありません。


例えば何か辛いことがあって、お酒に手を伸ばした翌日

あなたの身体は、とてつもなく重くなるでしょう。

自信がない自分が嫌で、身体を変えようと思っても

変わろうとする”勇気”や継続する”意志”がないと

結局身体は変わらないのです。


身体は鏡です。人の心を映しています。

私も、あなたも。


「自己肯定感」という言葉、実はあまり好きじゃないんです。

なぜなら、「自己」は「本人主体」なものの見方であるからです。

”あなたがあなた自身を、肯定的であるか、ないか”

そんな「あなたの中だけ」という、とても狭い世界での価値観のように思うからです。


なので、もしあなたが、自己肯定感が低いと感じているとしても

それは、あなたの中だけの事なので

他人には分からないんです。


当然、あなたも、他の誰かの自己肯定感が高いか低いかなんて、分からないでしょう。
(心理学を勉強していたり、洞察力がめちゃめちゃあったりしたら、話は別かも?)


私がこの、自己肯定感という言葉を好まないのは

そんな極端に狭い世界だけじゃ、あなたの価値は測れないからです。

世の中には、ぜったいゼッタイ絶対に!

あなたを肯定する人がいます。


「いや、わたしなんかが、そんな筈はないわ」って


あなたは思うでしょう。


だけど、これは絶対です。


あなたを肯定する人は、絶対にいるんです。


「きっと『それはあなた自身です』って言うんでしょ?ありきたり。」


そう思いましたか?


違うんです。


あなた以外の誰か、必ず、他人です。

外には、あなたを待っている人が必ずいるんです。

あなたを必要としている人が必ずいる。

あなたを待っている人がいるんです。


どこにいるのか、いつ出会うのか、それは分かりません。

でも、絶対にいるんです。

それは忘れないでください。

思い出してほしい。あなたの自己肯定感が上がったときのこと

一度はありませんか?

自己肯定感が昔から低くても、今もなお低くても

過去に、自己肯定感が上がった時、ありませんでしたか?



その時あなたのそばに、誰かいませんでしたか?

その誰かに褒められたり、優しい言葉をかけてもらって嬉しかったはず。

私も、学校で書いた絵を褒められて嬉しかった記憶があります。


肯定感を上げてくれるのはあなたじゃない、他の誰か。

肯定感を下げてくるのも他の誰かです。

でも、

他の誰かが、あなたをどんなに褒めても、どんなに傷つけようとしても

あなたが自己肯定感を決定している限り、揺るがないのです。

あなたが、自己肯定感を低く設定しているから、

周りがどんなにあなたを褒めても、あなたの肯定感は上がらない。


私もそうでしたが不思議なもので

褒められると「そんなことない」って否定したくなるし

けなされたり、指摘されたりすると、妙に簡単に納得してしまう。



「そうなんだよな。私ってダメなんだよな・・・。」



本当に不思議ですよね。

自己肯定感はどこで決まった?

自己肯定感、自己効力感、自尊心・・・似たような言葉がたくさんあり

それらを分ける為の言葉は、ハッキリと決められていないのだそう。

それでも調べてみると、こんな文言がありました。

東京都教職員研修センター(2011)は,自尊感情を「自分のできることできないことなどすべての要素を包括した意味での「自分」を他者とのかかわり合いを通してかけがえのない存在,価値ある存在としてとらえる気持ち」,自己肯定感を「自分に対する評価を行う際に,自分のよさを肯定的に認める感情」と定義している。

子どもの自尊感情・自己肯定感等についての定義及び尺度に関する文献検討 : 肢体不自由児を対象とした予備的調査も含めて( fulltext )

田島,賢侍; 奥住,秀之 東京学芸大学学術情報委員会

Ⅲ 教育行政による自尊尺度開発とその利用 より引用

社会人になると、よく自己分析をします。

自分の強みは、弱みは何か。どんな思考パターンをしやすいか。


こんな時に、やはり助けになるのが、他人の言葉だったりします。

案外、自分が強みだと思っていたことよりも

他人から見て、認められていることのほうが、的確だったりすものです。


上に書いてあるように

「自分に対する評価を行う際に,自分のよさを肯定的に認める感情」

と、自己肯定感を説明しているように

自己肯定感が低いと、どんなに他人が「あなたはここが凄いよ!」

と評価してくれても、その自分のよさを肯定的に認めることができないんです。


これは私も激しく同意します。


あなたはどうですか?




そして、この自己肯定感がどこで強く影響を受けるかと言うと

親子関係からと言えるようです。




親が子どもに対して、放任主義だった。

優しさを履き違えて、好きなようにさせてあげようとするあまり、

子どもにとって、親の優しさが「無関心」として受け止められてしまう。

そんなこともあるようです。

「放置された」と。

良かれと思った優しさが、返って子どもにさみしい思いをさせてしまう。

とても悲しいことですね。


また、意図して放任主義の接し方をした親もいるでしょう。

子どもに関心を示さないので、子どもは孤立感を感じ、親からの適切なサポートが受けられず

自己肯定感が下がってしまう、と。


もちろん、親子関係だけでなく、親戚や、学校での人間関係も関わってくるようです。

ですが、やっぱり親子の関係が一番大きいんじゃないのかなと思います。

親からもらえる”無償の愛”が足りなかったら・・・。

「わたしは存在していていいの?」

と、自分の存在にすら、不信を抱くようになってしまうでしょうから。

自己肯定感が低いと実は・・・

ここで、少々耳の痛い話になります。悪しからず。

自己肯定感が低いということは、実は・・・




生きるのが楽なんです。




そんなことないだろう!!!

わたしは苦しんでるよ!!!

とお叱りを受けそうですが、ちょっと考えてみてください。



私自身、自己肯定感は低かったです。

自信もありませんでした。

ですから、自信があるように見せていました。

でも実際には

人からダメ出しをされたり、

「私ってダメだな・・・もうこのままでいいや」

なんて、ふさぎ込む時期もありました



そんな私でも

「私も〇〇さんみたいに、人気ものになりたいな」

とか

「もっとお金があったら良いのにな」

とか

「もっと成功した人生を送りたいな・・・」

とか・・・。


頭の何処かでは、そんな欲求を抱いていたんです。

そして

「でも私なんかには無理だ、自信がない」

「私なんかが金持ちになれるわけない」

自己肯定感が低いら、ずーっとこのように考えていたんです。



でもね。よく考えてください。

大人のあなたなら、もう分かっているはず。



成功している人や、お金を稼いでいる人、人から尊敬の念を浴びる人


この人たちは、何をしていると思いますか??





そう。



行動をしてるんです!


むしろ、楽しんじゃってるかも知れない!


でも漏れること無く、自分で勉強しているだろうし、沢山行動している


だから人も付いてくるし、お金も集まってくるんです。




私は何をしていたか・・・。


自信がないからと、自己肯定感が低いからと、

それを盾にして、何にも努力してこなかった。行動してこなかった。

なのに「お金はほしい」だの「人気がほしい」だの。

よく言えたものです。


つまり自己肯定感が低いから、何もできない

何にも成れない・・・つまりそのままでいい。

何もしなくて良いんです。努力しなくて良いんです。

自分からあえて苦しいことをしに行く必要なんて、何にもないんです。



どうですか?


これって、楽してませんか?


ここで線引きして置きたいのが、良いとか、悪いとか、そういう話じゃないってことです。

善悪じゃない。


むしろ、そういう生き方でも良いと思ってます。



ただ、塞ぎ込んで、そういう何もしない人生を歩むなら


何も望むな。


そう考えるようになりました。
(自分に対してですよ)



「コンフォートゾーン」という言葉があります。

「comfort」とは「快適な」という意味です。

快適な空間、快適なゾーン。

今の状態から変わらずにいられるなら、そうしていたい、と言うのが人情です。


悔しいなら、高みを望むなら

うじうじしてないで這い上がれ!這い上がる努力をしろ!と

自分を奮い立たせる様になっていったんです。


それはそれは、めちゃくちゃ恐いことでありました。


なんたって自己肯定感が低く設定されているので、周りの目は恐いし、

失敗したら何を言われるか分かったもんじゃない!


でも、その先に、自分の望むものがあるならば、立ち上がって

歩いていくしかない。

そう思ったんです。

それはまさに、私がずっと意固地になって居座り続けていた快適空間

「コンフォートゾーン」からの脱却を試みた瞬間でした。

そして今

他人じゃない、自分を生きる為の道を歩き始めた、というワケです。

鏡を磨くパーソナルトレーニング
プライベート・スタジオ 「RESTA」


世の中は、今までにないフィットネスブームです。

パーソナルジムも、これまでにないくらい増えています。


しかし、その中に

鏡を磨き続けてくれるジムが、トレーナーがどれくらいいらっしゃるでしょうか。

これまでにも沢山の人と出会って、会話や食事、トレーニングをしたりしてきました。

私の仕事はパーソナルトレーナー。

クライアントが抱える、身体の悩みや希望を叶える事がゴールです。

そのために運動、食事、休養の3本柱を軸にメニューを組み立て

相談し合いながら、セッションを行っていきます。


多くの人は目標に近づき、喜びを分かち合います。

トレーナーのサポート有りとは言え、自身の頑張りによって

身体を変えたことは、本当に嬉しいものです。

そして、そんなクライアントの人生に寄り添えたことが

私自身のトレーナーとしての喜びであります。



「トレーニングで身体を変化させればそれでいい。」

「ガンガン追い込んで、筋肉痛を起こさせれば良い。」

「20kg痩せたオレのやり方が正しいんだ!」



これでは鏡は割れてしまいます。


私はクライアントが

”なぜ身体を変えたいと考えたのか”

”身体を変えたその先、どんな未来を描いているのか”

過去と未来をしっかりつなぐトレーニング

過去があって、今を大事にして、未来が明るくなる


そんな”今”を再出発地点にする

という理念で、これから

プライベート・スタジオ「RESTA」(リスタ)

を作っていきたいと考えています。


このプライベート・スタジオ「RESTA」が

私のRESTART

そして

あなたのRESTARTになるように


これからもっともっと勉強して、頑張っていこうと思います!


あなたも一緒に、未来志向で

・・・とまあ、肩肘張らず、楽しくいきましょう😁


楽しく笑顔で、それが一番です(笑)
(ここまで書いておいて、結局コレに尽きる😂)

ということで


今日もお読みいただき

ありがとーございましたー!!

それじゃ

行ってらっしゃい!(^^)/✨️

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

しきのアバター しき 農作物筋トレブロガー,トレーナー,治療家

群馬県出身。38歳。治療家,パーソナルトレーナー,食育研究,柔道整復師専科教員,柔道四段。15歳でウェイトトレーニングを始め、高校卒業と同時に上京。パーソナルトレーニング、柔道整復師の免許を取得する。14年間の会社員時代に、接骨院、介護施設などでの治療、リハビリ、介助、運営を学ぶ。その後独立し、トレーニング・治療・リハビリの経験・知識を組み合わせたパーソナルトレーニングを指導する。身体だけでなく、わくわくした人生を送ってほしいという思いから、ブログ”わくしきぶろぐ”を立ち上げる。

コメント

コメントする

このサイトは reCAPTCHA によって保護されており、Google のプライバシーポリシー および 利用規約 に適用されます。

reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。

目次